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公募制プロジェクト

“迷惑施設”という名のブラックボックス


現在、日本各地で起こっている、ごみ処理場の建設に反対する運動で、争っている当事者自身が「迷惑施設」という言葉を使っているところはまずないだろう。言ってしまうと不利になるからである。「迷惑」とは主観的判断、つまりエゴに基づく言葉であり、係争中の相手を前に使うのは適当ではないと知っているからである。「迷惑施設」という言葉を使っているのは、どちらかと言えば、傍から見ているジャーナリストや研究者などのいわゆる専門家である。つまり「迷惑施設」とは、「様々な問題が複合的に絡み合った一連の施設」を指す、ある意味で専門用語と言っていい。しかしまた、専門家にとっても、「迷惑施設」とは実に多くの視点からの解釈が可能であり、何となく分かったような分からないような、あいまいな状態のまま使われているのが現状である。その結果、専門家もあまり気づかない、住民にはもっと分からない「迷惑施設」という名のブラックボックスによって、根本的な問題点が隠され、多くの可能性が失われているような気がしてならないのである。
「迷惑施設」をブラックボックス足らしめている「迷惑」とは何か、その言葉に隠されている問題や可能性は何か、そしてそれはどのような方向にデザインしていくべきか。本研究の目的はここにあった。

 1.研究フロー
研究は九州ブロック正会員である尾辻、岡、福田を中心に学生などを加えた若手主体のワーキンググループが行った。まず、研究テーマの整理、迷惑施設の定義と類型化を行い、それをもとに九州を中心に清掃工場や下水処理場、葬祭場、原子力発電所等を訪れ、ホームページやパンフレットにより国内外の事例を収集した。さらに詳細なケーススタディとして、大阪市舞洲にあるフンデルトヴァッサーデザインによる清掃工場と福岡県古賀市の古賀清掃工場については、関係者へのヒアリング等を行い、比較検討を行った。それらの結果をもとにワーキンググループで考察をまとめ、JUDI九州ブロック会員および有識者を交えたディスカッションを行った。

○ワーキンググループ
尾辻 信宣  (正会員、九州ブロック、Glocal Vision代表)
岡  大輔  (正会員、株式会社環境デザイン機構)
福田 忠昭 (正会員、株式会社環境デザイン機構)
三木 佳織 (学生会員、九州芸術工科大学)
梶尾 麻希子 (非会員、発達心理学専門家)
奥村 貴仁 (非会員、株式会社環境デザイン機構)
荒田 寛 (非会員、株式会社環境デザイン機構)
今西 絵美 (非会員、クィーンズ大学(カナダ・バンクーバー):当時)

○主な視察先
大阪市舞洲工場、古賀清掃工場(福岡市)、福岡市西部下水処理センター、海老江下水処理場、下水道科学館(大阪市)、風の丘葬祭場(大分県中津市)、玄海エネルギーパークなど

福岡市西部下水処理センター
風の丘葬祭場
玄海エネルギーパーク


 2.「迷惑施設」の類型化
(1)静脈系(ごみ処理施設、最終処分場、下水処理場、し尿処理場、葬祭場、墓地など)
(2)情報通信系(変電所、高圧鉄塔、携帯電話基地局など)
(3)交通系(空港、高速道路、鉄塔高架など)
(4)福祉系(精神病院、養護施設、老人ホームなど)
(5)教育系(幼稚園、小学校、中学校、公園など)
(6)風俗系(パチンコ、ラブホテル、風俗店など)
(7)賭博系(競馬場、競艇場、競輪場、場外馬券売り場など)
(8)政策系(原子力発電所、自衛隊基地、米軍基地など)

 3.ケーススタディ(舞洲工場と古賀清掃工場の比較検討)

大阪市環境事業局舞洲工場 

プロジェクト概要
すでに設備と建築の設計が終わった段階で、フンデルトバッサー氏にデザインを依頼することになり、設計変更を行った。日本とオーストリアで模型を中心にやりとりしながら外観デザインを実現した。
古賀清掃工場(通称:エコロの森)

プロジェクト概要
すでに設備と建築の設計が終わった段階で、フンデルトバッサー氏にデザインを依頼することになり、設計変更を行った。日本とオーストリアで模型を中心にやりとりしながら外観デザインを実現した。

ケーススタディに見る「迷惑」のデザインと課題

舞洲と古賀の例は迷惑施設のデザインとしては、奇抜と思える部類に入るかもしれないが、それらが単純に「ハデであれば良い」という発想からではないことは、それぞれのコンセプトが慎重に作成されていることから明白であった。重要なことは、どちらも「迷惑施設」として片付けてはならないという考え方に立っていることである。ただし、舞洲が巨匠単独によるものであり、古賀が複数のアーティストと地元住民とのワークショップによるものであったことから、コンセプト作成から実現に向けたプロセスが連続させるための手法として、全く異なるアプローチがありうることを示している。
ここでの2つの事例は、アウトプットが特徴的であったために、そのプロセスとの関係が分かりやすかったのは、これらはある意味、迷惑施設のあり方について視覚的に「問題提起」に主眼を置いた試みであったことに注意しておく必要がある。
古賀の取り組みの中で、住民参加とデザインについてさらに客観的な検証が必要であるが、住民の描いた絵をそのまま採用するのではなく、アーティストや専門家とともに考えながらコンセプトを練り上げることを重視したワークショップは、今後のデザインプロセスにおける市民参加のあり方を考えさせるひとつの実験として興味深い。
古賀ワーキンググループ検討風景 古賀ワークショップ作業風景

 4.考察

迷惑施設とは何か
迷惑施設と呼ばれるものは以外と多い。教育や福祉など、一般的なイメージとして「必要施設」に近いものでさえ、受け止め方によって迷惑施設になりうるし、美術館など文化施設としてピカピカなイメージがあるものでさえ、「文化」が余計なものと感じる人にとっては迷惑施設になりうる可能性を持っている。このことは、「迷惑」が、受け止める側の主観に大きく依存しているということであり、少数でも「迷惑」だと感じる人がいれば、すべての施設が迷惑施設となりうる可能性を持っていることを示している。ただし、その「迷惑」と感じる、あるいは「迷惑施設」と捉える程度は、ごみ処理施設と美術館とでは大きく異なることは事実であり、やはりそこには「迷惑」と感じる何か大きなものがあると考えられる。
「迷惑」がプライベートな範疇で捉えられる場合には、比較的構図は単純である。例えば、パチンコ店を迷惑と感じる人は、おそらくパチンコをしないであろうし、そのような人にとってパチンコ店は、一部の人の嗜好を満足させるためだけの施設でしかない。それに対して迷惑だと思うものが公共的施設である場合、話は急に入り組んでくる。そもそも迷惑施設と言われながらも、やはり必要であるという認識に至っている施設だったからこそ、行政が建設するのであって、それが「必要でない」施設と認識された場合は公共が建設する必要性すらなくなってしまう。つまり公共的施設の場合、「迷惑施設」とは必ずその裏側には「必要施設=公益施設」としての認識が存在し、かつ「必要」を「迷惑」たらしめている「負の部分」を持っている。近年、日本各地で起きている紛争は、この「負の部分」をどのように捉えるかが議論の中心となっているようである。

リアルさを消されたデザイン
多くの施設を視察する中で、気になることがあった。それは、迷惑施設にはほとんどセットとして設置されている啓蒙を目的とした「展示」のデザインに関することである。それらのデザインに共通しているのは、何とか「迷惑」を払拭しようという作者の意図が感じられることだ。しかし、実際に伝えようとしていることは、イメージキャラクターを登場させたり、映像技術を駆使したりしてはいるが、内容は難しい言葉や装置の機能についての情報をデフォルメしているに過ぎない。最後には決まって「ごみは捨ててないようにしよう」「水を汚さないようにしよう」という言葉だけが踊り、ごみや汚れた水に関するリアルな情報が消されてしまっているのである。

「迷惑」のデザインの方向性
そのような中、古賀の清掃工場では、真黒なボックスにごみやごみで生活する人々の生々しい写真が、ただ室外に見える自然と対比するように置かれている。それらは時として不気味なほどに美しく感じられる。それを見てどのように考えるかは、あくまでもその写真を見た人に委ねられているのである。そこで表現しようとしているのは、ごみそのものであり、ごみとともに映し出される人間と社会である。
そして、本研究中に最も衝撃を受けたのは大阪市環境事業局のパンフレットであった。それは行政情報としてあじけない施設概要や施策が記された極めて普通のパンフレット。しかしその中に、ごみ処理手数料等を記した表が並んでおり、表の中には「電気冷蔵庫」や「電気洗濯機」とともに手術などで切除した「人体の手足」それも「1/3以上を切除したもの」はしないものに比べて300円高い(1,400円)ことなどが掲載されているのである。見た瞬間、現代社会の裏側を見てしまった気がして鳥肌が立った。無味乾燥な表はリアルさを一層際立たせていた。
デザインとは単に既成観念に沿って装飾を施すものではなく、物事の本質を追求し、再構築するところに価値があるのではないだろうか。
パンフレットの表はグラフィック的には何の変哲もない。しかし、多くの展示に見られた、かわいいキャラクターによる「押し付け」のデザインよりも、はるかに重要なメッセージを含んでいる。つまり、「ごみ処理」というテーマが、我々の生命や身体、社会と全く切り離して考えることができないものであるということを決定的に訴えている。しかし、それは、ただ漠然と眺めているだけでは気づきにくい。そこに必要なのがリアルさを顕在化させるデザインという手法である。例えば、ごみを出さない世の中にはごみ処理場は必要ない。しかし、我々にとってごみを処理するということは必要不可欠で、大変意味のある静脈的活動と捉えると、ごみ処理場の配置論だけでは片づけられない問題が出てくる。その問題提議とともに解決策を提示する必要がある。これをかわいいキャラクターが「身近な問題ですよ」と話しかけるだけで表現することは不可能に近いのではないだろうか。
よく「アート」と「デザイン」の違いについて、前者は問題提議をするもの、後者は問題解決をするものと例えることがある。しかし、「迷惑」のデザインに関しては、問題提議と同時に解決策を提示する非常に高度かつ広義のデザインが求められている。
「迷惑」のデザインに求められるものは、まず、「迷惑」の裏側にある価値観や社会状況を新たな視点から問題提起することである。その上で、一人ひとりが明確な意思を持って行動するための解決策を示すクオリティが必要となる。
舞洲展示 古賀展示

 


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